12.4. ゲノム科学とプロテオミクス
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1995年、ある科学者のチームがインフルエンザ菌 Haemophilus influenzaeというヒトに肺炎や髄膜炎を引き起こす病原菌(冬季に流行するインフルエンザウイルスとは関係ない)のゲノム全体の塩基配列を決定した
ゲノム科学 genomics時代の到来
最初にゲノム解析の対象となったのは細菌
インフルエンザ菌のゲノムは1800万塩基対の大きさで1709個の遺伝子が含まれている
2009年までには1000種類近くの生物のゲノムが公表され、さらに数千種類の生物のゲノム解析が進行中
現在までにゲノム解析が完了している生物の大部分は原核生物
大腸菌など数百種類の真正細菌を含む
医療の分野で重要な細菌がいくつも解析されるとともに、数十種の古細菌が解析されている
さらに100種以上の真核生物のゲノム解析が完了している
最初の完全長のゲノムの塩基配列が決定さた真核生物はパン酵母(Saccharomyces cerevisiae)
最初にゲノム解析された多細胞生物は線虫(Canorhabditis elegans)
他にはショウジョウバエ(Drosophila melanogaster)、実験用ラット(Ratus norvegicus)などの研究モデル生物
ゲノム解析が完了した植物としては、モデル生物として用いられるアブラナ科のシロイヌナズナ(Arabidopsis thaliana)、および世界で最も経済的に重要であるイネ(Oryza sativa)とソルガム(Sorghum bicolor)
ヒトゲノム計画
ヒトゲノム計画 human genome project
ヒトゲノム計画は1990年に、6カ国の政府から資金援助を得た科学者の取り組みにより開始された
数年後に、セレラゲノミクス社を中心とする私企業が計画に参入した
計画終了時点では、ゲノムの99%以上の領域が99.999%の正確さで塩基配列が決定された
残された数百箇所の塩基配列未決定領域について解明するには、特殊な方法が必要と思われる
ヒトゲノム中の22本の常染色体とX染色体およびY染色体には、約32億塩基対のDNAが含まれている
このDNAの量がどれほどのものか
本書の大きさの書物に32億のAGCTの文字を印刷すると、その本は全部で18階建てのビルの高さまで積み重ねられる計算になる
ヒトゲノム計画の結果で最も意外だったことは、ヒトの遺伝子の数が約2万個しかないことであり、線虫の遺伝子の数とほとんど変わらないこと
世界の主要なゲノム研究社が2000年にヒトの遺伝子数を予想して行った賭けの値は2万6000個から15万個の間であり、ゲノムの専門家全員が過大評価していた
多くの高等真核生物と同様に、ヒトのゲノムの中でタンパク質やtRNA, rRNAなどをコードする遺伝子を構成するDNAはごくわずか
ほとんどの高等真核生物のゲノムには、膨大な量の遺伝子をコードしないDNAが含まれており、ヒトのDNAの98%は非コードDNA
このような非コードDNAの一部は、プロモーターとエンハンサーおよびマイクロRNAなどの遺伝子の発現制御配列を構成している
さらに、遺伝子の中でエキソン領域の全長の10倍にも及ぶイントロン領域や、DNA鑑定にも用いられる反復DNA配列も非コード領域に含まれる
ヒトの健康のうえで重要な非コード領域も見つかっており、ある領域の突然変異により病気が引き起こされる事も知られている
大部分の非コードDNAは、もし機能があるとしてもいまだに不明である
ヒトゲノムの完全な地図をもつことの潜在的利益は非常に大きいと考えられる
病気に関連する遺伝子がこれまでに数百個も同定されている
遺伝性のパーキンソン病
最近まで環境要因によるものと考えられていたが、ヒトゲノムのデータにより、ある型のパーキンソン病は特定の遺伝子に起因することが示されている
さらに、この遺伝子にコードされるタンパク質の変異型の1つがアルツハイマー病に関連しており、この2つの脳疾患の関連性が示唆されている
さらに、同じ遺伝子がラットでは嗅覚に関連する役割を果たしており、キンカチョウではさえずり方の学習に関与していると考えられている
このように生物種を越えてこの遺伝子の機能を比較することにより、タンパク質が正常なときにヒトの脳で果たしている役割について、重要な手がかりが得られると期待される
炭疽菌テロ事件犯人の捜査
2001年10月、フロリダ州の63歳の男性が、炭疽菌 Bacillus anthracisの胞子の吸入により発症する肺炭疽のため死亡した
米国では1976年以降この病気による犠牲者は出ていなかった
2001年の暮れまでに、さらに4人が肺炭疽のため死亡した
警察当局は、何者かが炭疽菌の胞子を郵便で送りつけていたことを突き止めた
送りつけられた炭疽菌そのものが最も有力な手がかりとなった
炭疽菌の胞子のゲノムと、各地の研究所に保管されていた炭疽菌株のゲノムを比較検討した
まず、5件の炭疽菌はすべて遺伝的に同一のものであることが判明し、同一犯によるものであることが示唆された
死をもたらした炭疽菌胞子は、メリーランド州フォートデリックの米国陸軍感染症研究所で分離された実験室株と一致していることが判明した
テロ攻撃に使われた炭疽菌株のさらに包括的な全ゲノム解析が2008年に完了した
この分析により、郵送された炭疽菌株のゲノム中に独自の突然変異が4ヶ所見出され、この変異を追跡捜査することにより、陸軍施設のある1個のフラスコに由来することを突き止めた
この証拠をもとに、連邦捜査局は陸軍の科学者の一人をこの事件の容疑者として告発した
炭疽菌の捜査はゲノム全体を比較研究する新たな研究分野である比較ゲノム学の1つの応用例にすぎない
1991年にはフロリダ州のある歯科医が複数の患者にエイズウイルスを感染させていたことを示す強力な証拠が、比較ゲノム学により得られた
1993年にカルト教団が東京の下町に炭疽菌を散布した事件では比較ゲノム研究により、なぜこの攻撃によって死者が出なかったのかが明らかとなった
教団が用いたのは獣医用ワクチンをつくるために開発された、無毒な菌株だった
1999年に発生した西ナイル熱のウイルスの調査研究により、単一の天然ウイルス株が鳥とヒトの両方に感染したことが示された
犬の血統に関する系統樹が形成されている
比較ゲノム学により、ヒトに近縁の生物種とヒトの間の相同性と相違について解析することも可能となっている
2005年、生命の進化系統樹のうえで現存する生物種の中で最もヒトに近縁の生物であるチンパンジー Pan troglodytesの全ゲノム塩基配列決定計画が完了した
ゲノムの96%がヒトのゲノムと一致していることが判明している
この重要な4%の差異を分析することにより「ヒトをヒトとしているのは何か」という昔ながらの命題について科学の光をあてようとしている
ゲノム地図作製技術
ゲノムの塩基配列の決定には、通常は全ゲノムショットガン法が用いられる
全ゲノムのDNAを制限酵素で処理することにより細かく断片化する
各々のDNA断片をクローン化して片端から塩基配列を決定する
あちらこちらが重複した数百万この短い塩基配列情報を、専用のゲノム地図作製ソフトウェアを装備した強力なコンピュータにより統合し、それぞれの染色体ごとに単一の連続した塩基配列を組み立てることにより、全ゲノム配列を決定する
ヒトゲノム計画により決定された塩基配列はデータベースに登録されており、インターネットを通じて利用することができる
National Center for Biotechnology Information
研究者は、種々のソフトウェアを用いてヒトゲノムの中で遺伝子や発現制御領域などの特徴を持つ塩基配列を検索し分析している
こうした研究の成果が、すべての遺伝子の染色体上の位置の情報を含む遺伝的地図
「ヒトゲノム計画では誰のゲノムの塩基配列を決定したのか?」
政府予算による研究プロジェクトで決定されたヒトゲノム配列は、実際には数人のゲノム情報を蓄積して編集されたもの
一方、セレラ社により決定されたゲノム配列は、主として社長のクレイグ・ベンター Craig Venter博士
これらのゲノム配列は、個人ごとの塩基配列の相違および相同性について比較検討するための標準ゲノム配列として役立つだろう
個人のゲノム配列解析は2007年に始まり、最初にDNAの構造の発見者であるジェームズ・ワトソン James Watsonのゲノム配列が決定された
このようなゲノム配列解析は、ヒト多様性解析計画 Human Variome Projectとよばれる大事業の一環で行われている
ヒトの健康に影響を与えうる遺伝的な変化や多様性に関するすべての情報を収集することを目標としている
塩基配列の蓄積に伴い、ヒトという生物種の中で個人個人の相違をもたらしている塩基配列のわずかな相違が明らかとなってきた
個人の遺伝的な相違を日常の医療に反映させていく個人別ゲノム解析の時代がやってくるだろう
プロテオミクス
プロテオミクス proteomics
ゲノムにコードされるタンパク質のすべてを系統的に解析する研究
ヒトのタンパク質は約10万種類あり、約2万個の遺伝子よりもはるかに多い
実際の細胞の活動を実行しているのは遺伝子ではなくタンパク質
細胞や組織の機能について理解するためには、科学者はタンパク質がいつどこで合成され、どのように相互作用しているかを解明しなければならない
ゲノム解析とプロテオーム解析は、生物学者が大局的な視野で生命の研究を行うことを可能にしている
現代の生物学者は細胞、組織、生命体の機能と運用に寄与するすべての「部品」のリストである遺伝子とタンパク質のも黒くを統合する立場にある
→12.5. 科学のプロセス : ゲノム科学で癌を治せるか